ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その21)」 「倹約紀行(二)」

前号から、平成19年のヨーロッパ旅行の様子を書かせてもらっています。フランス滞在3日目は、パリからTGVという新幹線で西へ、レンヌというブルターニュ地方最大の都市へ向いました。ここでは、ムッシュ・エルムボルドというステンドグラス作家のアトリエを訪問しました。氏とは面識があったわけではなく、出発前にホームページで知り、その作風に惹かれてアポイントを取っていました。
午後3時、有り難い事に見ず知らずの日本人のために、氏自ら車で駅まで迎えに来てくれました。アトリエは広大で、作業別にいくつもの部屋に分かれており、20名ほどのスタッフが作業していました。驚いたことに、鈴木さんという若い日本人男性もいました。彼は”流し”のステンド修復師だそうで、古い教会のステンドを修復しながら、フランスのアトリエを転々としているそうです。たくましい日本人もいたものです。
エルムボルド氏は、ステンド工房、フュージング工房、溶接場、倉庫、私設ギャラリー、書斎等々、我々に全ての部屋を案内してくれて、尋ねること全てに答えてくれました。特に、板ガラスを融かしてカラフルなパネルを作る「フュージング」という技術に関しては、とても熱心に説明してくれて、最新鋭の畳二枚ほどもある大きな電気窯を見せてくれました(蛇足ですが私はこれに惹かれ、帰国後、構造を思い出しながら半分ほどの大きさの窯を自作しました)。私が矢継ぎ早に質問し、妻が汗をかきながらせっせと通訳してくれましたが、このときほど妻が頼もしく見えたことは有りません。
一通り説明が終わり、隣接する氏の自宅に招かれ、娘さんや近所の子供も加わり、ジュースをご馳走になりました。庭には馬が遊ぶ大きな池と、プールが有り、ステンドグラス作家も成功するとこうなんだア、と感心しました。彼の目下の悩みは、教会からの修復の依頼が多すぎて、創造的な仕事をする時間が無いことと、池に大発生した緑の藻が目障りだ、ということだそうです。
お礼に日本から持参した自作水墨画の掛け軸を1本プレゼントして、夕方アトリエを辞しました。氏も多くのフランス人と共通してジャポニズム(日本文化趣味)のようで、この軸はたいそう喜ばれました。ちなみに軸は、友人宅に泊めてもらう時の安上がりな宿泊料として、渡航の時は必ず数本描いて持って行きます。
レンヌの名物は、蕎麦粉のクレープ「ガレット」とリンゴの発泡酒「シードル」。夕食にこれらを食し、殺風景なユースホステルに泊まりました。(続く)

少年のような仕草のエルムボルド氏と

少年のような仕草のエルムボルド氏と

エルムボルド氏の前衛的なフュージング作品

エルムボルド氏の前衛的なフュージング作品

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その20)」 「倹約紀行(一)」

平成19年春、妻と、フランス、ベルギー、ドイツと巡るステンドを観る旅をしてきました。貧乏旅行でしたので、飛行機は往復8万円の格安チケット、移動は電車と現地友人のマイカー、宿泊はユースホステルや友人宅でした。それでも有名どころの大聖堂を確り巡り、牧歌的な田舎町で、久しぶりに再会した友人達と現地B級グルメを堪能してきました。

初日はパリのユースに泊まり、次の日から強行軍です。夜明け前から電車に乗りこみ、一時間ちょいでモンタルジーという町に着き、アトリエマツダへ向いました。ここは私と妻が、時期は異なりますがかつてステンドを習った所です。主宰の松田日出雄氏は私達にとって隠れた仲人と言えます。氏は現在も弟子を抱えつつ教会ステンドの修復や個展などを精力的にやっています。先生お手製のざる蕎麦をご馳走になった後お別れし、乗り合いバスでモンタルジー市街の教会へ。ここには日本の武士を題材にしたとても珍しいステンドグラスが入っていました(写真 下)。

モンタルジーという町の教会の日本風ステンドグラス

パリの南部、モンタルジーという町の教会の日本風ステンドグラス

次にシャトー・ルナーという森に囲まれたおとぎの国のような村へ移動しました。ここの丘にそびえる古城のような教会には、その外見とは不釣合いと思える前衛的な抽象絵画のようなステンドがはめ込まれていました。その中には松田氏の作品もあり、日本人作家がフランスの田舎に根を下ろし、愛されていることを誇らしく思いました。
この日の宿泊は妻の友人コーブ夫妻宅(写真 下)。公務員を退職したムッシュとマダムはパリからこの田園に移り住み、ボランティアで外国人にフランス語を教えています。私はビズという抱き合って頬を当てるキスを妻相手に練習しておいたので、マダムとはぎこちなくも篤い挨拶を交わせました。ところが、ムッシュには無視されてしまい、空しく突き出した顔を引っ込めるののばつの悪いこと。彼は男とはしない主義のようです。

晩は、フォアグラ、サーモン、シャンパン、貴腐ワイン、シャブリー、ボルドー、リンゴパイのお手製のフルコースでした。このお宅にはフランスには珍しく浴槽があったのですが、浴室が普通のリビングのようなのです。日本では洗い場に相当する所に、絨毯やらタンスやら人形やら、小物が所狭しと並んでいると思ってください。入浴時、床やそれらの調度品を濡らさないようにするのに苦心しました。結局この旅行中、浴槽に出会えたのはここだけでした。翌日、別れ際にあのムッシュが確りビズをしてくれて、少し胸が熱くなりました。(続く)

コーブ夫妻宅にて

コーブ夫妻宅にて

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その19)」 「アンティークガラス」

もう10年近く前の事ですが、地元龍ヶ崎にあるガラス工場「カガミクリスタル」を見学しました。ここは、日本芸術院賞を受賞し、日展参事でもあったガラス作家・故各務鑛三(かがみ こうぞう)氏が興した日本初の本格的なクリスタル会社です。広い敷地内では、多くの職人達が、クリスタルのコップや花瓶、お皿を伝統的な吹きガラスで成型し、切子やグラビールといった研磨技法で装飾し、素晴らしい作品に仕上げていました。ここは、昔で言う宮内庁御用達でもあります。
古来ガラス製品の多くが、カガミクリスタルと同じ吹きで作られてきました。これは、長い鉄管の先に高温で水飴のようになったガラス塊を付け、管のもう一方の端から息を吹き込んでガラスを膨らませる技法です。食器類はもとより、大きな板ガラスもこの方法で作られてきました。そしてヨーロッパには、今もこのアンティークな技法でステンドグラス用板ガラスやお城の窓ガラスを作っている工場がわずかに残っています。
平成12年に、そんな工場の一つフランス南部のサンゴバン社を訪れました。腕っ節の強そうな職人が、長さ二メートルくらいの鉄管を操り、直径50センチ、長さ1.5メートルほどの巨大な円筒状の瓶を吹き上げていました(写真1)。実は私も吹きガラスを体験したことがあります。普通に吹くとガラス風鈴のように球状に膨らむだけなんですよね。しかも、管とその先についたガラス球が意外に重く重労働です。彼らサンゴバンの職人は、管をくるくると回転させながら見事にきれいな円筒状に膨らましていました。次の工程で、この瓶の頭とお尻の部分を切り落として筒状にし、これを開いて板ガラスにします。出来上がったものをアンティークガラスと言います。
吹きで一枚一枚手作りされたアンティークガラスはそれ自体が芸術品です。ステンドグラス制作者は、その芸術品に傷を付け、切り刻み、再度組み合わせて新たな作品にします。ゆめゆめ、板ガラスが本来持つ美しさを損なうこと無きよう努めます。

サンゴバン社のアンティーク製造の様子

写真1:サンゴバン社のアンティーク製造の様子

行灯「鯉」

写真2:アンティークガラスの美しい模様を活かすように作ったステンドグラス行灯「鯉」、サイズ:直径19cm×高さ49cm

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その18)」 「三月四月」

三月から四月にかけて、日本人の心は揺れ動きます。花粉症の話ではありません。三月は卒園、卒業、受験、送別、四月は入園、入学、進級、就職、赴任など。別れと出会いの季節でもあります。この時期の気持ちを言葉にするのは難しいですね。悲しいとか辛いでもないし、嬉しいとか楽しいでもない、不安と期待とが同時期に入り混じった、まさに「なんとも言えない感覚」です。

最近、自分に変化が訪れなくなったせいか、落ち着いて渦中の人たちを観察することが出来ます。先だっても、卒業式でもらったのか揃いの小さな花束を手に手に、中学生の一団が道にあふれていました。自分の卒業式の日を思い出しました。ただもう春休みに作る予定のスピーカー・エンクロージャー(オーディオスピーカーの木の箱)のことで頭がいっぱいだったあの時。もう少しおセンチになって、二度と会えなくなる友達と遊ぶ約束をすればよかったなどと後悔します。

四月になると、蛍光色のカバーを付けたランドセルが朝の団地内に湧き出ます。少し離れたところからそのランドセルに注がれる篤い眼差し。私の母もそうだったのだ。でも当時の僕は、算数の教材セットや、通学路に落ちている色々なものが気になり、母親の思いなど気にも留めませんでした。

ホームで電車を待つリクルートスーツ。内定もらえて良かったね。どこでも好きなところに就職できたバブル組みの僕は、長く厳しい就職活動を乗り越えた彼らに敬意を表します。でも、君達は少子化で受験の方は楽だったんじゃないかな。僕は思い出したくないくらい辛かったです。だからおアイコですね。

ある方が、感情は言葉の数だけある、という意味のことを仰っていました。三月四月の感情を一言で表すと何でしょうか。

ステンドグラス「染井吉野」

ステンドグラス「染井吉野」
サイズ:W94cm×H50cm

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その17)」 「墨画」

脱サラしてステンドグラス制作業を始めたとき、同時に東京にお住まいの書・墨画家、鈴木桂石先生に師事して墨画(水墨画)を始めました。目的の一つは、ステンドグラスの絵画性に墨画の要素を取り入れたかったため。もう一つは、正式に「芸術」というものを教わってみたかったためです。

私は小さいときから好きで絵を描いていますが、ちゃんと先生に就いて教わったことが無いのです。デッサンも油絵も、ステンドグラス(の初期段階)でさえも教本と試行錯誤による独学です。この独学主義には、いつのころから、独りよがりな理由付けがなされるようになりました。「修正の効く画法は、見る目さえあれば自力でそこそこ出来る」という。デッサンや油絵のように、いじくり倒せる画法なら、センセーに教わらずとも、時間をかけて直し直し自力で完成させるわ、というものです。

しかし、墨画はそうはいきません。一発勝負の世界です。一度紙の上に落とした墨は消すことができません。また、一寸そこそこの筆毛の表裏に水と墨の両方を含ませたなら、時間をおかずに一気に描かなければなりません。思考よりも早く筆を運ばなければ、線質に生命を宿すことはできません。ちょっとした迷いや躊躇が、致命的な滲みを残します。後半生墨画家となった宮本武蔵ではありませんが、墨画道には武士道に通じるものを感じます。この世界は独学では無理です。名人の技をすぐ側で見る必要があります。私を素直にしてくれる面白い画法に出会えたものです。そして、良い先生に。

写真は、墨画で原画を描き、それを元にステンドグラスにしたものです。実の部分の黄色以外は、クリアとグレーのモノトーンです。まるで墨画のように。わざわざ筑波山までスケッチに行った、思い出の作品でもあります。

ステンドグラス「枇杷」

ステンドグラス「枇杷」
サイズ:46×61cm

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その16)」 「ギリシャ神話」

ステンドグラスに興味を持ち、初めてそれらしいモノを作ったのは高校生のときでした。黒く塗ったボール紙にカッターナイフで孔を開け、そこに色セロファンを貼って作りました。題材はギリシャ神話です。一枚は、英雄イアーソーンが金毛の羊皮を取りに行く冒険物語の一場面、もう一枚は、テーセウスが牛頭人身のミーノータウロスと戦っている場面です。前者はクラシックなストップモーションの映画を観て、後者は当時の愛読書・高津春繁著「ギリシャ神話」の挿絵に惹かれて作りました。
ギリシャ神話は日本の神話に共通するところが多く、カオスから始まる神々の系譜や、後世の貴族たちが英雄や神々を祖先として祀った点などは、記紀にも多く見られます。しかし日本と違うのは、ギリシャを旅した時実感したのですが、太古の神々を祀り崇める現役の施設も人も、今や無い、ということです(地方ではほそぼそと残っているかもしれませんが)。現在は国教ギリシャ正教を主とした完全なキリスト教国になっています。多くの神社や神話上の神神が今なお息づいている日本や、東南アジアの多神教国に比べると、実にさばさばした見捨てぶりです。
あのセロファンのステンドグラスから二十年以上経って、本物のガラスでギリシャ神話を描く機会に恵まれました。当時は英雄伝説にあこがれていましたが、今回はもう少しロマンチックな題材を選びました。出典は『アイティオピス』という叙事詩で、粗筋は、次のとおりです。アマゾーンの女王ペンテシレイア率いるアマゾーン軍は、トロイエー軍の援軍として敵対するアキレウスと戦っていました。が、ついにペンテシレイアはアキレウスに胸を刺されて討たれます。アキレウスは、死にぎわの女王の顔があまりにも美しかったので、一瞬で恋におちます。当時の英雄は、簡単に恋に落ちるんですよね。

 題名:「アキレウスとペンテシレイア」、サイズ:直径50cm


題名:「アキレウスとペンテシレイア」、サイズ:ステンドグラス部の直径50cm

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その15)」 「塾」

四十路を過ぎてもアルバイトをしていました。ステンドの制作業だけでは食べていけず、夜間、学習塾の講師をしていました。

三年間受け持った中学生のクラスには、お人形さんのように可愛いらしい女生徒がいました。流石に特別な感情は抱きませんでしたが、同級の男子達にとってそのAさんは憧れの的であることは想像に難くありませんでした。現に「センセー知ってる?B君とC君はAさんのこと好きなんだよ。次の休み時間よく観察してみな」などと、やっかみとも取れる情報をもたらす生徒もいました。

ここからは、私の中学時代の想い出です。目鼻立ちがはっきりしているのに少しアンニュイな表情が魅力的なM子という女子に、僕は一年生の時から片想いをしていました。しかし滅法奥手、しかも連日ツッパリグループにいじめられていた格好悪い僕は、クラスも違うM子に一言も話しかけられずにいました。ただ部活のランニングの時、テニス部の練習場に彼女を見つけられた日は、ささやかな幸せを感じることができました。

ところが、こんな僕にもチャンスが巡ってきたのです。二年生から、親が勝手に決めた英語塾に通うことになりました。塾である民家の一室に渋々行ってみると、数名の塾メイトの中になんとM子がいたのです。週に三回、M子と肘が触れ合うほどの距離で勉強できる。それだけで塾に通う価値十分でした。しかし大馬鹿者 福田少年、思いの丈を伝えることはついに一度もありませんでした。塾の後、星空の下でビートルズや音楽のことなど遅くまでぺちゃくちゃお喋りしていたにもかかわらずです。

さて現在に戻ります。学習塾は、世間で言われているほど殺伐とした所ではありません。違う学校の生徒同士が数年間苦楽を共にする第三の社会です。悩み、喜び、疲れ、希望などを織り交ぜながら青春ドラマを繰り広げています。おい少年たち、勇気を出して告白してみたらどうだ。きっと素敵な想い出になるぞ。

石楠花

バイトをしていたH17年に制作した「石楠花」、サイズ:横75cm×縦80cm

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その14)」 「風水」

『生気は風に乗ずれば散じ、水に界(くぎ)られれば止まる。古人はこれを集めて散ぜしめず、これを行いて止めるなり、故にこれを風水という。』
これは中国の郭璞(かくはく:三~四世紀)が著わした「葬経」の一節です。「気」の基本的な性質を表したものですが、「風水」が書物に登場した最初の例とも言われています。

風水は天人地を包括する壮大な思想体系で、「形勢派」と「理気派」に分けることができます。「形勢派」は、風水の四大原則「龍・穴・砂・水」の地理環境を見る方法で、都の造営に用いられてきました。それに対し「理気派」は、家の中の無形な気を見る方法で、ドクター・○○氏などがこれに当たると思います。

「形勢派」の風水では、山脈の稜線には「龍脈」という気の流れる道が走っていて、遠く西方の崑崙(こんろん)山より生じた気が流れているとしています。龍脈上で最も気が生き生きして集中している所を「穴(けつ)」とか「龍穴」といいます。穴の周囲にある小山を「砂」といい、穴を守護し、気の力を増幅し、流出を食い止める作用があります。砂には四種類の名前が付いていて、穴の後側、龍脈の延長の山が「玄武(げんぶ)」、穴の左側で気の流れを食い止める小山が「青龍」、同じく右側の小山が「白虎」、前面の明堂とも言われる平坦な部分が「朱雀」です。この玄武、青龍、白虎、朱雀を四神とも呼び、その中心地=「局」が、家や墓を建てたり、都を造営するときに最も適した「四神相応の地」として尊ばれてきました。

また、風水の基本的なパターンは、背山臨水といって、前に水が流れ後ろに山があり、北坐南向といって南向きの土地が好まれます。この北坐南向と四神相応とを重ね合わせると、北・東・南・西の各方位に玄武・青龍・朱雀・白虎が位置します。四神は各方位の守護神ともされてきました。さらに四神の象徴色は黒・青・赤・白で、これに中央の黄を加えると、各方位の象徴色にもなります。

古来より風水は日本にも流入してきており、高松塚古墳やキトラ古墳の玄室には四神が描かれていますし、平城京などの都は、まさに四神相応の地に造営されています。

四神相応図

フュージング・ステンドグラス「四神相応図」 右上から時計回りに青龍、朱雀、白虎、玄武。各直径26cm

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その13)」 「ひかりの素足」

何度読み返したかわからないほどに、繰り返し読んだ宮沢賢治の童話『ひかりの素足』。幼い兄弟が吹雪の山で遭難し、地獄と仏様を体験するという内容です。簡単に書きましたが、結末もすごいんです。短い童話なのですが、涙無くして読めません。また読みます。
ところで、10年ほど前に同題のステンドグラスパネルを作ったのですが、その写真がネット経由で若いご夫婦の目に留まり、青森県からわざわざ買いに来て下さったんです。感激しました。以下は、翌日頂いた有り難いメールです。
「無事に『ひかりの素足』と共に昨日の深夜に到着しました。正直一番気にいっていたのを譲っていただいて良かったです。私、競輪選手で骨折はしょっちゅうのことです。平成15年に練習中に、飛び出した子供と接触し、頭蓋骨骨折で一週間意識不明で三途の河のような不思議な所を体験した私です。その後『ひかりの素足』を見たときは、なんともいえない気分になりました。それは恐怖ではなく心の落ち着く感じで、おもわず見とれてしまいました。健康なときなどあまり考えもしなかった普通であることの大事さ、一日一日を大事に頑張っていかなければと『ひかりの素足』を見ると思います。相手の子供は擦り傷だけで良かったです。(後略)」
片道6時間半かけて、夕方到着されたご夫婦。『ひかり…』を一目見られた奥様が思わず涙ぐまれたのには驚きました。奥様にも大変なご苦労があったのでしょう。こういう出会いを糧に私も制作を続けます。

ひかりの素足

「ひかりの素足」、サイズ:60×90cm

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その12)」 「亡国の天才」

ピアノの楽曲で有名なフレデリック・フランソワ・ショパン(1810~49)は、ポーランド出身の人です。ポーランドはたびたび他国から侵攻され、地図上からその名を幾度となく消した不幸な国です。ショパンがパリで活躍していたころも、その亡命政府はパリにありました。ショパンの父や友人は祖国で抵抗運動をしており、亡命生活の彼は忸怩たる思いで作曲活動を続けていたようです。
彼の作風は全体的に繊細。虚弱で結核で夭折した点、スカーフや手袋をいつも着用していたという貴族趣味から、線の細い弱々しいイメージで語り継がれています。一方で、饒舌でユーモアに富みエネルギッシュな人だったとも言われています。相反するようですが、若くして才能を花開かせる「天才」は、アンバランスな精神と、強大なエネルギーを持っていると思います。
以前、とある楽器店の依頼でステンドグラスを制作するとき、資料を集め、私なりの「人間ショパン」像を作り上げました。作業中ショパンの曲をかけていましたので、とても好きになりました。特に「英雄ポロネーズ」「ノクターン作品9」「幻想即興曲」など。
満たされない思いを秘めたショパンの顔と、演奏中の手をグリザイユで書き込み、絵画風に仕上げました。特に、震えるように繊細な指は、私の想像の産物です。享年39。「もっと生きたかった。もっと書きたかった」と訴える彼の魂の叫びを表現したかったのですが。

ステンドグラス「ショパン」

ステンドグラス「ショパン」
サイズ:85×50cm