ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その11)」 「狂気の天才」

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)は、ザルツブルクの人。最初はピアノではなくクラウザンを演奏していました。彼は、宮廷楽団の副団長も努めた父レオポルト・モーツァルトに早い時期に才能を見出され、幼い頃からヨーロッパ各国を約十年間に渡り演奏旅行させられています(父レオポルトは、有名な「おもちゃのシンフォニー」の作曲家です)。多くの期間ウィーンで過ごしたモーツァルトは、ピアノソナタが有名ですが、交響曲や協奏曲などありとあらゆる器楽曲、オペラを作曲し、バイオリンの演奏にも秀でている全方位型天才です。

私は小学生の時バイオリンを習っていたのですが、今でも一番好きな曲が、彼の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」です。ちなみに、当時の私は比較的簡単な第二バイオリンの方を担当していましたが。

彼の人物像ですが、驚かされるのは、度重なる子供の死(6人中4人夭折)という不幸に見舞われながらも、コンスタントに作曲を続けていた点です。多くの研究書が、かれの「底抜けの明るさと力強さ」を強調しています。晩年は金銭的にも困窮し、多くの知人に送った借金申し込みの書簡が今も残されています。この困窮の中にあっても熱気ある作品が、死の直前まで創作され続けたのは驚きです。1984年の映画「アマデウス」にも描かれていましたが、幸いにも(?)人間として何かひとつ、重要なモノが欠落していたのでしょう。

このステンドグラス作品には、ブッ飛ぶほどに放出される彼の創作エネルギーを、彼の横顔に表現したつもりです。また、クラウザンとバイオリンはモチーフとして欠かせませんでした。明るく、世間に疎く、故に悲しい、数百年に一人という天才の狂気の横顔を描こうと思いました。

ステンドグラス「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」

ステンドグラス「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その10)」 「奇遇」

思いがけないところで、思いがけない人に出会う。ちょっと怖くなるような偶然を経験したことありますよね。

私の奇遇ベスト3。その3は、学生の時、上信越のスキー場で2人乗りリフトに乗り合わせた見ず知らずの隣の人。よくよく見たら、一緒に来ていたわけではないクラブの同輩。「なんでお前ココにいるの?」「お前こそ何でいるんだよ!」。

ベスト2は、オーストラリアに行く飛行機に、小学生の時の友人が乗っており、ゴールドコーストで一緒にカジノに行く。そして堂々ベスト1は、これからお話しすることです。

数年前、インターネットで私を知った東京のTさん(初対面)が、ステンドグラスの依頼のために工房に来られ、ひとしきり打ち合わせをした後です。話題は、私が制作の傍ら、地元の神社(千勝神社)で世話人をしている、という話に移りました。先方も適当に相づちを打って私の話しを聞いていました。

そして矢庭に「ちょっと待って下さいよ。福田さんと同じようなことを言っていた人を知っていますよ。確か山陰の出身で…あっ、思い出した。お茶席だ。何回かご一緒したなあ。若いのに正座が強くて。そうそうあなたのように背が高くて、皆からノッポちゃんて呼ばれていた。」

平成八年に亡くなられた権禰宜のKさんのことでした。優しかったKさんの思い出がよみがえり、「いや懐かしいね」と言いながら、それぞれが知るKさんについて、しばし語り合いました。Kさんは忙しい茨城県の神社務めの合間に、東京に出て行って茶道の会などに参加し、千勝神社を広めていたのですね。

このTさんとの出会い。東京都の人口や、私達が1年に知り合う都民の数などを仮定してざっと計算すると、二千五百年に一度の出会い、ということになりました。

Tさんにお納めした「ざくろ」、サイズ:50×120cm×2枚

Tさんにお納めした「ざくろ」、サイズ:50×120cm×2枚

ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その9)」 「裸」

ステンドグラス「レディ・ゴディバ」

ステンドグラス「レディ・ゴディバ」

西洋の美術史上、裸婦像は最もポピュラーな画題のひとつですが、実はその取り扱いには不文律のような縛りがありました。それは、神や天使、悲劇のヒロインなど神話や聖書・歴史の登場人物だけが裸で描かれることを許されていたのです。ですから、1863年に初めて「同時代の女性の裸」を描いたマネは、最初轟々の非難を浴びました。

では、自分が裸婦像を鑑賞するとき、神話的背景があった方が良いのか、あるいは「ストレートな裸」の方が良いのか。私の場合、両方とも、です。神話的背景があった方が、心の座りは良いのと、特に悲劇のヒロインなどには感情移入出来るという点で、作品の深みが一段増して見えます。一方「まっさらの裸」はルノワールの云う「肉体そのもの」がストレートに飛び込んでくるので、動揺させられるわけです。動揺を感動の一種と位置づけるなら、これもまた捨てがたい世界です。

写真の作品は、レディ・ゴディバ(ゴダイバの方が発音的には近い)という11世紀のイギリスに実在した女性を題材にしたものです。ですから、これは神話的背景のある裸婦像ということになります。ゴディバはベルギーの高級チョコレートメーカーの社名になっているのでご存じの方も多いと思います。重税に苦しむ民衆を助けるために、一人犠牲になってこのような格好にさせられている悲劇のヒロインです。ちなみにこの原画は、ほとんど私の想像の産物です。

ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その8)」 「誰が見る」

中学に上がる時、憧れの土地付き一戸建てに引っ越しました。新築とは楽しいもので、間取りやキッチンはもちろんのこと、照明、壁紙、ドアノブなど細部に至るまで、家族会議で一つひとつ決めていったことを憶えています。

ところで私たちは、新築の時どの部屋に一番力を入れるでしょうか。キッチンやリビングと並んで、玄関のデザインに凝るという人が多いのではないでしょうか。他人の目にさらされる所についつい力を入れてしまう。お披露目の時「自分達のこだわりの家です」と言っていながら、お客様に評価されることをやたら期待したりして。

ステンドグラスの注文を受けるとき「外から見て綺麗なものをお願いします」と言われることがよくあります。住人より、家の前を通る人達に楽しんでもらいたいわけですね。ヨーロッパ人だと多分そうは言いません。家は第一に住人が楽しみくつろぐ場なので、室内側から見て綺麗なステンドグラスを注文するでしょう。そしてステンドグラスは本来、暗い側(つまり室内側)から見て美しいものなのです。

かつて武士は、母屋は朽ちても門構えは立派にしていたそうです。そう言えば、私のかつての拙宅も、照明は玄関の物が一番高価でした。他人の目を気にする国民性を理解して、内側から見ても、外側から見ても美しいステンドグラスを考えていきます。

ちなみに下の写真の作品は、オレンジ色の部分にオパールセントガラスという半透明ガラスを用いています。このガラスは夜外から見ると、室内の電球の光を受けて美しく浮き出します。

作品「夢と希望」を室内側から見たところ

作品「夢と希望」を室内側から見たところです。
サイズ:49×125cm×3枚

室内の照明できれいに照らし出されています

夜、屋外から見たところです。
室内の照明できれいに照らし出されています

ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その7)」 「作風」

かつて、東京にお住まいのNさんという、面識のある先輩作家さんからメールを頂いたことが有ります。私のホームページで、当時の作品を見てくださっての感想でした。「依然作品に迷いがあるようですね」といった文面でしたが、私もステンドグラスをはじめてまだ7年でしたし、いろいろな意味で大いに迷っていました。そして、今でも迷っています。

自分でも気になるのが、作風のでたらめさ加減です。私のステンドグラスは、ランプあり、行灯(あんどん)あり、墨画風パネルあり、絵付けパネルあり、フュージング画(融かしガラス)ありで、自分でも手当たり次第といった気がします。題材も、自然の動植物や人物、抽象画や具象画等、様々です。ですが、これは性分といいましょうか、何か一つことを続けていると他のことが気になりだし、無性にやってみたくなるのです。自分でも思いますが、一生「私の作風」というものは確立できないかもしれません。あるいは、すべてやり尽くせば満足して、最終的にその中の一つに落ち着くのでしょうか。

写真の作品「木蓮」は、お客様のご要望で色ガラスを使わず、透明とグレーと白色ガラスのみで作りました。日本家屋にマッチした落ち着いた作品になり、すごく満足行く仕上がりでしたので、これも私の作風の一つです。

ステンドグラス以外にも、簿記や決算処理など経理にも夢中です。ホームページ作りも嫌いじゃないし、こんな性分じゃ・・・きっと大成しないですね。

和風のステンドグラス「木蓮」

和風のステンドグラス「木蓮」

ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その6)」 「八犬伝」

南総里見八犬伝というと、小学生の時にNHKでやっていた人形劇「新八犬伝」を思い出します。辻村ジュサブローさんの作る人形、今は亡き坂本九さんの黒子姿の司会が話題でした。

ご存じ八犬伝は、江戸時代の作家、曲亭馬琴がだらだらと書き綴った史上最長の古典です。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が浮きでた八つの玉を持つ八人の若者=八犬士が織りなす戦国絵巻です。

さて2003年に、八犬伝の舞台である千葉県の南端、館山市のとある別荘にランプ数点をお納めしました。写真は3個一組の吊り灯です。筒状のランプを階段の吹き抜けに段差をつけてぶら下げました。別荘にほど近い海岸から眺めた、美しい夕日の「橙」、海に迫る山の「緑」、眼前に広がる海の「青」をモチーフにしました。光の三原色に近い組み合わせなので、その合成色はほぼ白色になります。実際に、個々の色の派手さとは裏腹に、吹き抜けは落ち着いた自然な光をたたえていました。

ところで、取り付けを手伝ってくれた地元の大工さんが、なんと八犬士の一人の末裔だそうです。八犬伝は史実ではないはずですが、家系にロマンがあるのがとても羨ましかったです。

3個一組のステンドグラス吊り灯

3個一組のステンドグラス吊り灯

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その5)」 「海の記憶」

子供の頃の海の記憶。水中眼鏡越しに見上げた波の鏡、不定形に分割、結合する太陽。
四十年前、小学生の頃、夏になると一家で志摩に海水浴に行くのが常でした。家の前には、歩いて行ける距離に湘南の海が広がってはいましたが、高度経済成長の真っ只中、タールでものすごく汚れていました。そんな訳で澄んだ水を求め、三重県鳥羽から船で数十分、答志島や坂手島に渡り、一週間ほどきれいな海を満喫しました。当時のサラリーマン家庭にしては、かなり贅沢な夏の過ごし方だったのではないでしょうか。

答志島には、中学校を卒業した若い衆が、義兄弟となって寄宿生活する「寝屋子」というユニークな風習が残っています。少し沖には、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になった神島という、これまた民俗学的にも興味の尽きない島があります。そんな離島の民宿の女将さんは、海女でもあり、アワビ漁やウニ漁を僕らに見せてくれました。

夜は月の下、女将さんよりちょっとかげの薄い民宿のおじさんが、穴子釣りに誘ってくれました。一晩で30匹も釣れ、翌日手分けして捌き、干物にしました。でも、一番楽しかったのが、無人島での貝獲り。朝漁船で無人島に送ってもらい、夕方迎えに来てもらうまで、シッタカという小さな巻貝を取り続けました。澄んだ海に潜り、1回に2、3個拾っては浮き上がる。海底から見た夏の太陽が、今もチカチカと網膜を刺激するようです。写真の「命」という作品は、僕の海と太陽、そして月です。

島の民宿は、一体やる気が有ったのか無かったのか、私達一家以外の客を見たことがありませんでした。きっと女将さんが獲るアワビだけで食べていけたのでしょう。

ステンドグラス「命」 2000制作

ステンドグラス「命」 2000制作
素潜りの海面下から見上げた夏の太陽です

ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その4)」 「達人」

建築とステンドグラスを融合させてデザインした建築家に、フランク・ロイド・ライト(1867-1959)がいます。彼の作品は、直線を基調とする幾何学模様のステンドグラスと、アール・デコ調の建築意匠とが融合し、統一感の取れた空間芸術になっています。日本にも、旧帝国ホテルや自由学園明日館など、彼の作品が少数残っています。

当時の建築家の非凡な点は、インテリアの範疇であるランプや椅子、机までも、統一的にデザインした点で、彼のステンドグラスランプも今尚レプリカが作らているほど人気があります。

現代ステンドグラス制作者の中で、ライトを心の師と仰ぐ人は少なくないと思います。また、彼が手がけたようなスケールの大きな仕事に憧れを抱いている人も多い事でしょう。私もその一人です。

かつて、店舗内装とステンドグラスを統一デザインする仕事にめぐり合いました。ライトには遠く及びませんが、面白い仕事をさせて頂きました。「もりもりもん亭」というお好み焼き屋なのですが、正面・内装・調度・ステンドを全て「もり」のイメージで統一しました。場所は、千葉県は柏駅の近くでした。今はもうありませんが。

お好み焼き屋のステンドグラス

お好み焼き屋のステンドグラス

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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その3)」 「スイング・メン」

ジャズマンをモデルにした4枚ひと組の大作ステンドグラス、「スイング・メン」を紹介させて頂きます。
元々の着想は、一つのことに真剣に取組んでいる人々のもつオーラを、ステンドグラスの輝きを利用して表現したい、という大胆なものでした。「真剣」といってまず思いついたのがジャズマンです。実は、私は特別ジャズが好きという訳ではなく、むしろあまり聴かない方かもしれません。ただ小学校からの友人にジャズマニアがいて、彼はジャズを聴くためにオーディオ機器を自作するほどなんですが、ビル・エバンスやトミー・フラナガン、MJQなんかをよくカセットにダビングしてくれたんです。私は昔、神経症気味の頃がありまして、このカセットに癒されたものです。
まあ、私のジャズ歴はいい加減なものですが、しかし、視覚的には大変気になる存在です。まず、格好イイ。ミュージシャンと言われる人種の中で、バイオリニストの次に絵になる人達です(ちなみに私は、へぼバイオリン歴5年です)。ジャズと言われて頭に浮かぶのは曲ではなくて、あの演奏風景です。それも、ビッグバンドではなく人数の少ないトリオやカルテット。ということで、図書館に行きスイング・ジャーナル誌を全部借りてきて、デザインに取り掛かりました。この専門誌、写真が実に良い。黒人のベース奏者やサックス奏者なんか、見ているだけでうっとりしてきます。今回は4楽器に絞り、実在の達人をモチーフにしてデザインしました。誰が誰だかわかりますか。勿論写真のまんまに制作したものはありません。私流にスイング・スイングでデフォルメしました。

ステンドグラスパネル「スイング・メン」

ステンドグラスパネル「スイング・メン」


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ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その2)」 「ステイン」

ステンドグラスと聞いて真っ先に思い浮かべるもののひとつに、ヨーロッパの教会の窓があると思います。近付いて見てみると、色ガラスの上にキリストや聖人達の絵が、墨のようなもので緻密に描かれています。

ステンドグラスはその昔、文字を読めない人のための、絵説き聖書の役目もしていました。「ステンド」の意味は、「ステイン=色付けする、汚す」から来ており、グリザイユという専用の墨でガラスに絵を描き、焼き付けることを意味します。かつて短い期間でしたが、フランス中部の工房でステンドの勉強をしたことがあります。その時は、ほとんどの時間を、絵付けのための筆さばきの習得にあてられました。ステンドで大切な事は、ちまちま描かずに、伸びやかな線で一気に描く事です。そうすると、線に生命が宿り、作品が生き生きとしてきます。東洋の墨の文化にも共通しているところがあり、面白いです。

写真は、フランス滞在中の作品で、古い教会の模写です。ところで、ステンドグラスに使うラファエルという高価な筆は、わが国でも日本画家を中心にファンが多いそうです。ステンド文化、侮れません。


(※「ぎやまん草子」は、千勝神社の社報に連載させて頂いている文の一部修正版です)

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