論語に「不恥下問(かもんを恥じず)」という一節があります。その意味するところは、目下の人や立場が下の人に問うこと(教えてもらうこと)を、恥と思ってはいけない。せっせと教えを乞いなさい。でなければ、成長は止まりますよ。というところでしょうか。
私は50歳を超えて、付き合う人に年下の人が増えてきたせいか、どうしても人に問いかけて教えてもらうことが少なくなってきたように思います。若い先方からは「先輩、教えてあげますよ」ともなかなか言えないでしょうし。どうも、素直に問えない頑固さが芽生えてきたと言った方が、正確かもしれません。
30歳くらいまでは、自分の無知をさほど恥とも思わず、誰彼無く聞けたものです。知恵知識、学問上のことも、人生上の悩みも、先輩に良く尋ねました。また、尋ねる前に向こうから親切にも教えてくれることも、叱ってくれることもありました。ありがたいことです。40歳くらいから、徐々に体裁が先に立ち、尋ねる相手も選ぶようになり、今では人前で「知りませんでした」と言えない自分があります。
興味のないことだと割合あっけらかんと「いや、不勉強で、存じませんでした」と言えることもありますが、自分の専門のこととなるとどうもいけません。人に指摘されると、まずムカッと来てから、少し時間を置いてようやく内容を吟味します。そうか、そうだったのか、私が間違っていたか、と気が付くのはもっと後になってからです。気が付かず、バツの悪さだけが残るときもあります。妻ですら、年上の私には問題点を指摘し難いと言います。よほど目に余るようですと、私の機嫌の良さそうなときに、気を遣って恐る恐る注意してくれますが。
世の中には、歳を取るほどに謙虚になる立派な方もおられるというのに、私はいけません。
まだ守るべきナニモノをも得ていないというのに...「不恥下問」を肝に銘じます。
フュージング画「桜の常磐線」
不恥下問となんも関係ありません。