十牛図(じゅうぎゅうず)とは、禅の悟りに至る過程を、象徴的な十枚の絵であらわす、古典的な絵画主題です。 中国伝来の絵や、室町時代以降日本で描かれた絵などがあります。 牛は「悟り」や「己が心」の象徴だそうですが、最初は探し求めているのに、最後には手放してしまう(消えてしまう)ところが面白いです。
普通は、求道者として男子が描かれていますが、私は若い女性に置き換えました。少しオリジナリティを加えました。 これまで、フュージング画は平面で制作し、額装を想定していましたが、今回は絵皿にしてみました。 日本には絵皿を装飾品として飾る習慣があるので、これも面白いと思います。
サイズ: | 横37×縦27×高5cm(厚4mm)x10枚 |
設置場所: | 卓上、窓辺の透過光など |
制作経緯: | 自主制作 |
制作過程: | 詳しくはブログの記事で |
制作年度: | 2013年 |
ご購入方法: | 当工房から通販で購入→まずはでお問い合わせください 10枚セット 220,000円(送料込) |
一、尋牛(じんぎゅう)
– 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す – 絵皿では、葦原で、ウシ子(仮名)が牛を探しあぐねて、ため息をついたところです。 「さて、困ったわ...」
二、見跡(けんせき)
– 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する- 絵皿では、ウシ子が秋明菊の咲く野で、牛の足跡をやっとみつけたところです。 「ずいぶん遠くまで続いてそうね...」
三、見牛(けんぎゅう)
– 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態 – 絵皿では、ホフク前進で足跡をそおっと辿って行ったその先に、牛を発見したところです。 「やったわ!あそこに、牛君がいたわ。」
四、得牛(とくぎゅう)
– 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿 – 絵皿では、非力と思われたウシ子が案外奮闘して、牛の手綱を捕えたところです。 「ちょっ、ちょっとアンタ、おとなしくしなさいってば!」
五、牧牛(ぼくぎゅう)
– 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す – 絵皿では、ウシ子が草切れを持って、ようやく牛を説き伏せました。「牛君、やっと大人しくなったわ。桜もきれいね。」
六、騎牛帰家(きぎゅうきか)
– 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿 – 絵皿では、牛にまたがり笛を吹き、柳の下、余裕しゃくしゃく。着衣まで、緊張感ゼロ。「ぴーひゃら。私をお家まで連れてって。」
七、忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
– 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく – 絵皿では、日常に戻るも仕事がたまっていて、牛どころではないウシ子。「さーて、この服も洗っちゃいましょ。」
八、人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
– すべてが忘れさられ、無に帰一すること。 悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく –
九、返本還源(へんぽんげんげん)
– 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す – 絵皿では、ウシ子も牛も家も消えてしまい、梅が咲き誇るのみ。
十、入?垂手(にってんすいしゅ)
– まちへ... 悟りを得た修行者が街へ出て、人々と交わる姿を描き、人を導くことを表す – 絵皿では、ウシ子が里(牛久沼の畔)に出てきて、子供たちや猫と遊んでいます。「やっぱり、山での独り暮らしは味気ないわ。社会生活が一番の修業よ。」