東北地方太平洋沖地震のその日に

3月11日金曜日、この日付は一生忘れないと思います。
 この日、朝から菊水工業(千葉県白井市)内の彫刻家サトルタカダ先生のアトリエで、金物加工の手ほどきを受けていました。工房ギャラリーの看板用切り文字を、制作していました。
 午前中、ステンレス板をプラズマ切断機で、文字の形に切り、グラインダーでバリ取りしました。

 昼食後、棒材のステイを溶接している時

 3時少し前に、揺れが始まりました。突然大きな揺れになったのではなく、小さなゆれから徐々に大きくなり、あわてて建屋の外に出ました。3時過ぎに、かなり大きい余震が再び。その後、自分が目が廻ってふらついているのか、地面が揺れているのかわからないような余震が、ずっと続きました。
 広い構内は安全な場所でしたが、工場の建屋が大きな音を立てて揺れ始め、私達も立っているのがやっとでした。隣の工場からは異臭と煙が立ち昇り始めました。それと同時に、これは大変なことになったぞと言う恐怖感と、家族の安否への不安が湧いてきました。
 菊水工業の建屋やアトリエは、目に見えた被害はありませんでしたが、携帯のワンセグが伝える国内の状況は、まさに「信じられない」ものでした。急いで車で茨城県県南の自宅に帰りましたが、途中、瓦が破損した家屋やガラスが割れた商店が多数あり、信号も各所で停電していました。
 家族は無事で、お隣さんに身を寄せて振るえていました。食器や作品が少し割れていましたが、うちはほぼ被害が無い状態です。その後の東日本の状況は、報道で伝えられたとおりですが、数日は何をして良いのか判らない状態でした。
 とにかく、今は、亡くなられた方へのお悔やみの気持ちと、被災された方へのお見舞いの気持ち、一刻も早い救出と被害の終息を祈るばかりです。

東北地方太平洋沖地震のその日に” への4件のコメント

  1. 無事で良かったです。
    安心しました。
    地震の備えはしていても、まさかの津波での大惨事。
    まだ余震も続いていますので、どうぞお気を付けて
    過ごして下さいね。

  2. ラ フランスさん、ありがとうございます
     フランス在住の友人数名からも、安否確認のメールをいただきました。フランス版Yahoo!を見たら、日本の地震がトップで報じられていました。今、世界中で耳目を集めているニュースなのでしょうね。
     おっしゃるとおり、津波の被害が甚大で、2日経っても被災の全容は掴めていないようです。これから続々入ってくるであろう状況報告が怖いです。
     東京や都心も鉄道麻痺や電力不足などで、機能不全状態です。暫らく日本は、非常事態下で数ヶ月を送るのではないでしょうか。

  3.  私も哀妻と一緒でしたが、生まれて初めて地震で外に飛び出しました(他のことではしょっちゅうですけど)。不謹慎ですね、失礼。
     とうとう来ちゃいましたね。それもこんな大惨事で。
     自分のところは、屋根瓦が一部崩れたのと、食器類が飛び散りました。
     食器の破片を片づけながら、惜しい物が結構あったんですが、こんなことをしてられるのはラッキーだよなーとはなしながら、アッこれもかっ!なんて、人間しょうがないよねー

  4. 千木太司さん こんにちは
     昨日、ご自宅の瓦が、一部破損しているのをお見かけしました。
     どうも、地震慣れしているせいか、素直に屋外に飛び出せませんね。そのうち収まるだろう、という希望的観測も働いて...
     うちも、5枚そろったお気に入りのケーキ皿が、1枚残して割れてしまい、惜しいことをしたと思いました。
     が、そんなことより、本当に今回は命拾いしたと思っています。

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