上善

今、「上善(じょうぜん)」と名付けた作品を作っています。これには続きがあり、「上善若水」と書いて、「じょうぜん 水のごとし」と読みます。「上善如水」と書く場合も有ります。
この熟語は、日本酒の銘柄にもなっているので、多くの方が耳にしたことがあるでしょう。原典は、老子で、その8章に
「上善若水 水善利萬物而不爭 處衆人之処悪 故幾於道」とあります。
岩波文庫 蜂屋邦夫著「老子」の訓読文を引用すると、
「上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。」となります。
老子では、水を善なるものの象徴、理想の人物像の例えとして、よく用いています。水のように低い位置にいることをよしとし、水のように柔弱にして謙虚が良いと言っています。
オレがワタシが...の今日において、とても胸が清らかになる言葉です。


目下、老子4連作を制作中です。私の好きな老子の熟語4種を選び、それに四季を当てはめ、季節感もある絵を描いています。

上善” への2件のコメント

  1. 老子ですか・・・
    心の奥底にあるドロドロとした欲望、エネルギー、を爆発させてからでもいいような気がしますが・・・
    知足=足を知る=少欲、ではないと思うのは間違いでしょうか。
    知行一致=今何を知るべきなのか、という意味と重ねてみると、知足=今何を求めるべきか、という意味にも通ずると思うのです。
    無いなら無いなりに、ということと、必要なものを得る努力をする、ということは矛盾しないと思っています。
    五十代半ばにしてやっと言える言葉があります。
    四十代だからこそできる作品を是非見せて下さい。
    これからも、楽しみに見させてもらいます。

  2. 癒しさん こんにちは
     確かに仰るとおり、心の奥にあるものを無理に抑えこんだり、心に蓋をしても、良いこと有りませんね。
     私は、最初、倹約の必要性から無駄をそぎ落とすライフスタイルをはじめました。10年ほど前、沢山の本を持っていたのですが、部屋の確保の為に止む無く大量処分したんです。それがきっかけとなって、どんどんモノを捨てることに快感を覚え、必要最小限のものだけ身の回りに置くようになりました。
     背広は成人式のときに買ったものを今も着ます、車は走ればいい、PCは中古、テレビは14インチ、食料は...自作、といった感じです。
     収納してあるモノも、2年アクセスしなかったら、もらい物でも、新品でも、基本的には処分します。
     学歴を得て、サラリーマンを始めた時は、人並みに出世と収入を目標としたころもありました。でも決して今のような平穏は得られませんでした。また、矛盾するようですが、サラリーマンのときより、工夫と体力、人付き合いがないと今のスタイルは続きません。その点、以前よりアグレッシブな生き方だとも思っています。
     幸運なことに、妻が同様にこのスタイルを長いフランス留学で身に付けていて「理想」としていたんです。夫婦で同じ価値観でいられるというのは最高です。

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