小学校で図画工作と言われる教育科目、皆様はどう思われますか。時間数も教員数も削減され続け、教育内容もどこかお座なりのような気がしてなりません。ちなみに、図工の授業時間は、1年生では昭和40年代の年間105時間に対し現在は68時間です。6年生では70時間に対し50時間です(文科省)。
特に図画=絵を描くことについては、先生は生徒達の「上手に絵を描けるようになりたい」という願望に応えていますでしょうか。「上手かどうかは重要ではない、独創的であるか、楽しんでいるかが重要なのです」との反論が聞こえてきそうです。ですが、これは教師が、上手に描けるようにしてあげられないことの言い訳に聞こえてなりません。
正確に描けることは、図工の基本中の基本であると思います。対象物のプロポーションを目測し、色・明暗を分析し、紙の上に再現する作業です。生徒が上手く描けずに、半ば出鱈目に描き殴ったものを「独創的でイイねえ」と褒めたところで、子供の為になりますでしょうか。これを同じ実技教科である音楽に当てはめるならば、「ドレミの音程はどうでもいいから、思い通りに楽器をかき鳴らしなさい」、体育なら「ボールを正確に投げたり捕ったり出来なくていいから、まあ元気にぶん投げなさい」と言っていることと等しいと思います。音楽教育も体育教育も、現実はもっと基本を重視していますよね。
私は、小学生(特に低学年)には芸術性など、ほぼ必要無いと思っています。子供は生まれて1年も経つと絵を描き始めます。親は、子をあやすことに疲れると、決まって紙とクレヨンを与えますね。子供にとって絵を描くことは、芸術活動ではなく遊びであり、獲得願望の代償行為ではないかと思っています。彼らが描くお姫様やお人形、動物や虫も、電車や飛行機、勇ましい怪獣やヒーローも、実物は手に入らないから(入ってもおもちゃだから)、あるいは自分がそのものになれないから、画用紙に自由に再現したいのでしょう。彼らにとって、上手に、正確に描けるということは、欲求を満たすための何よりも大切なことなのです。
教師は、まずこの願望に応えてあげないと、芸術的才能の開花と言う段階に入る前に、彼らは絵を辞めてしまいます。上手に正確に描けるというのは、テクニックであり訓練の成果ですから、教える側にも相応のスキルと根気が必要です。今の教師にそのスキルが不足しているとは思いません。彼らは、石膏デッサンをこなして、高等教育の美術課程を経てきているのですから。問題は、国の教育方針にあると思います。
わが子の図工の教科書を見ると、絵具や色鉛筆、クレヨンはもとより、切り絵や版画、粘土、塗ったり、切ったり、貼ったり、とにかく多数の技法を試させてばかりです。ですがどの技法も、時間切れで掘り下げ切れないだろうなあと思います。結局子供達にとって、6年間の小学校生活の中で、上手に描けるようになれなかったというコンプレックスが醸成され、中学・高校での美術教科の不人気、美術離れに繋がるのだと思います。