今回は、若者にとっての仕事観や結婚観の話です。
「最近の若者は、夢や目標を持っていない。」よく耳にしますが、本当でしょうか。今の若者全てにインタビュウしたわけではないので推測の域は出ませんが、恐らく彼らも子供のころ、野球選手や宇宙飛行士、アイドル歌手になる夢や憧れは持っていたのではないでしょうか。ただ、現実的な彼らは、諦めるのも早い。
自分の(職業としての)やりたい事が見つからない、というのは、本当に若者の「問題点」なのでしょうか。私の拙い民俗学の知識で考察するに、日本民族が職業選択の自由を手に入れたのは、戦後のことで、特に自己の適性を分析し、アピールして就職活動するというのは、ここ数十年のことだと思います。夢を持ちそれを職業として実現するなど、元々日本民族の遺伝子に無い、不慣れな作業なのではないでしょうか。
夢や目標をもって生きることは、有るべき姿だと思います。ただ、情報や知識、経験も乏しい若者が、無理して目標を設定し固執するのは、かえって自己の適性を狭く見積る行為ではないでしょうか。人間の適応能力は大きい。可能性も想像以上に広い。まずは、近くにあるもの、人から奨められるもので手を打ってみては如何でしょう。大学での専攻にもこだわらず、具体的に言えば、家業があれば家業を、人手不足の中小企業が近くにあれば、そこも候補にしてみるといった具合です。続けていれば、与えられた目標がやがて自分の目標になる時が来るでしょう。そして、世の中が見えるようになってから、仕事以外の例えば家庭や趣味、社会貢献などに夢や目標を見出しても悪くはないと思います。
またよく似た現象に、若者の結婚難があると思います。「近頃の若者は、自力で結婚相手すら見つけられないのか。結婚に興味すら無いと言うではないか。嘆かわしい。」という言葉を耳にします。しかしどうでしょう。これまた日本民族に、結婚相手を自力で見つけ、決めるなどと言う風習は有ったのでしょうか。貴兄は、あるいは恋愛結婚だったかもしれません。ですがごく近年まで多くの若者は、お見合いと言う互助システムで救われてきたはずですし、「婚活」はむしろ周囲の人間が行う活動だったはずです。江戸時代までは、村々に若衆(若者組、若連中)といわれる未婚男性の共同体が存在し、先輩の指導の下、ヨバイ(呼ばひ、夜這い)をしたといいます。これも互助システムです。
今日、男性の2割、女性の約1割が生涯未婚で過ごすと言われています。一つの原因は、不景気や低収入の影響でしょう。また、マスコミは、独り身は近年の新しい人生選択だ、と報じています。が、彼らは積極的に「選択」したのでしょうか。若者が結婚に無頓着なのは昔も今も同じだと思います。今の若者は、可愛そうです。お見合いはダサい行為とされ、それでなくても、忙しくて疲れきっているのに、誰も手を貸さない。その結果が、この数字だと私は思います。
そして自戒もこめて、最近一番変わってしまったのは、若者ではなくむしろ、団塊の世代以降のシニアではないでしょうか。「若者の自主性を重んじる」という美名を隠れ蓑に、彼らに無頓着になったと思います。若者のために一肌脱がなければ。