『生気は風に乗ずれば散じ、水に界(くぎ)られれば止まる。古人はこれを集めて散ぜしめず、これを行いて止めるなり、故にこれを風水という。』
これは中国の郭璞(かくはく:三~四世紀)が著わした「葬経」の一節です。「気」の基本的な性質を表したものですが、「風水」が書物に登場した最初の例とも言われています。
風水は天人地を包括する壮大な思想体系で、「形勢派」と「理気派」に分けることができます。「形勢派」は、風水の四大原則「龍・穴・砂・水」の地理環境を見る方法で、都の造営に用いられてきました。それに対し「理気派」は、家の中の無形な気を見る方法で、ドクター・○○氏などがこれに当たると思います。
「形勢派」の風水では、山脈の稜線には「龍脈」という気の流れる道が走っていて、遠く西方の崑崙(こんろん)山より生じた気が流れているとしています。龍脈上で最も気が生き生きして集中している所を「穴(けつ)」とか「龍穴」といいます。穴の周囲にある小山を「砂」といい、穴を守護し、気の力を増幅し、流出を食い止める作用があります。砂には四種類の名前が付いていて、穴の後側、龍脈の延長の山が「玄武(げんぶ)」、穴の左側で気の流れを食い止める小山が「青龍」、同じく右側の小山が「白虎」、前面の明堂とも言われる平坦な部分が「朱雀」です。この玄武、青龍、白虎、朱雀を四神とも呼び、その中心地=「局」が、家や墓を建てたり、都を造営するときに最も適した「四神相応の地」として尊ばれてきました。
また、風水の基本的なパターンは、背山臨水といって、前に水が流れ後ろに山があり、北坐南向といって南向きの土地が好まれます。この北坐南向と四神相応とを重ね合わせると、北・東・南・西の各方位に玄武・青龍・朱雀・白虎が位置します。四神は各方位の守護神ともされてきました。さらに四神の象徴色は黒・青・赤・白で、これに中央の黄を加えると、各方位の象徴色にもなります。
古来より風水は日本にも流入してきており、高松塚古墳やキトラ古墳の玄室には四神が描かれていますし、平城京などの都は、まさに四神相応の地に造営されています。
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