ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その5)」 「海の記憶」

子供の頃の海の記憶。水中眼鏡越しに見上げた波の鏡、不定形に分割、結合する太陽。
四十年前、小学生の頃、夏になると一家で志摩に海水浴に行くのが常でした。家の前には、歩いて行ける距離に湘南の海が広がってはいましたが、高度経済成長の真っ只中、タールでものすごく汚れていました。そんな訳で澄んだ水を求め、三重県鳥羽から船で数十分、答志島や坂手島に渡り、一週間ほどきれいな海を満喫しました。当時のサラリーマン家庭にしては、かなり贅沢な夏の過ごし方だったのではないでしょうか。

答志島には、中学校を卒業した若い衆が、義兄弟となって寄宿生活する「寝屋子」というユニークな風習が残っています。少し沖には、三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になった神島という、これまた民俗学的にも興味の尽きない島があります。そんな離島の民宿の女将さんは、海女でもあり、アワビ漁やウニ漁を僕らに見せてくれました。

夜は月の下、女将さんよりちょっとかげの薄い民宿のおじさんが、穴子釣りに誘ってくれました。一晩で30匹も釣れ、翌日手分けして捌き、干物にしました。でも、一番楽しかったのが、無人島での貝獲り。朝漁船で無人島に送ってもらい、夕方迎えに来てもらうまで、シッタカという小さな巻貝を取り続けました。澄んだ海に潜り、1回に2、3個拾っては浮き上がる。海底から見た夏の太陽が、今もチカチカと網膜を刺激するようです。写真の「命」という作品は、僕の海と太陽、そして月です。

島の民宿は、一体やる気が有ったのか無かったのか、私達一家以外の客を見たことがありませんでした。きっと女将さんが獲るアワビだけで食べていけたのでしょう。

ステンドグラス「命」 2000制作

ステンドグラス「命」 2000制作
素潜りの海面下から見上げた夏の太陽です

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