ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その30)」「十年」

よく職人さんが取材のインタビューなどに答えて「この技を身に付けるのに、まず十年は掛かりますね」と言っているのを耳にします。ひとつの技を修得するのに十年は掛かる。見た目は簡単そうだけれど、実はすごく難しいんだぞ。俺は鍛錬と辛抱で身に着けたんだ、と言いたいのでしょうが、しかし、私はこの十年と言うフレーズが嫌いです。

先達てもテレビの中継で、人形職人が雛人形の顔に面相筆で眉を描きながら、「まず十年はかかりますね」とヤルもんだから、思わず「あんた相当ヒマだね。さもなくばかなりの不器用、あるいは師匠が意地悪だ。俺なら1ヶ月で十分。そもそも、恥ずかしげも無く言うことか。」とテレビ画面に向かって突っ込んでしまいました。

ある技能をそこそこ身につけるのに、数箇月あれば十分だと、私は思っています。これには根拠があります。勤め人さんなら思い当たると思いますが、頻繁に配置転換が行われます。異動や転勤、業務の転換。技術者なら扱う製品も周辺技術も日進月歩。でも、転換していつまでも「不慣れです」「お手柔らかに」などと言っていられない世界です。

私もかつて、10年程のサラリーマン生活の中で、5つの開発プロジェクトに携わりました。一番の変化は、ビデオデッキから、畑違いのDVD用光センサの開発チームに異動したときです。レーザーや光学、新素材、指先ほどのモータ、そして最新の製造技術を大急ぎで詰め込み、異動後3ヵ月で「はい5年前からやってます」くらいの顔つきで、製品設計を主担当として始めました。これは自慢でもなんでもなくて、ビジネス界で言う垂直立ち上げ+OJT(オン・ジョブ・トレーニング)です。

これは、頭脳労働だけでなく、体で覚える仕事にも当てはまると思います。要は、多くの職人さん、特に修業中の人に、時間的切迫感が感じられないと言っているのです。もし、3ヶ月後に人形の眉を描いて独り立しなさい、という業務命令が与えられたら...習得の方法を工夫するでしょう。必死に教えを請う。師匠の動作をビデオ録画して家でおさらいする。お金も必要かもしれない。「技とは教わらずに盗むものだ」などと悠長なことは言っていられないはずです。

これも自慢では有りませんが、私のステンドグラス修業期間は1年間でした。昼間はサラリーマンをしながらでしたので、1年も費やしてしまいました。これでスタンダードな作品は作れるようになりましたので、ハイサヨナラ、脱サラです。

知人で元富士銀行の支店長経験者Tさんは、早期退職して、広島風お好み焼きの店を始めました。出店前、広島の名店Mに頼み込んで、1ヶ月ほどの短期修業に行きました。後日、「ここでは、若い連中が2年も3年も修業しているわけヨ。俺に言わせりゃバカじゃないのだよ。言っちゃ悪いがお好み焼きだよ。1週間も練習すれば外はカリッ中はフンワリできるって。」と話してくれました。痛快です。

多くの職人さんが伝統の技の習得に疲れきって、またこの伝統にあぐらをかいて、次のステップのためにこれを自らぶち壊すことができずにいます。今は職人天国だった江戸時代ではなく、5年一昔と言われる激変の世です。一つ技能を身につければ一生食べて行けるほど甘くはありません。私を含め職人が時間を掛けるべきは、新たなる技法や、オリジナルデザインの創出ではないでしょうか。これを怠るから世間から見捨てられてしまう。そして、技能の衰退・絶滅です。もったいないです。

ステンドグラス「REVUE」

ステンドグラス「REVUE」
ステンドグラスを始めて、半年ぐらいの作品です。今でもこれのレプリカのご注文が来ます。

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