ステンドグラス制作者の「ぎやまん草子(その28)」「マイコン」

平成23年10月5日、マッキントッシュやiフォンで有名な、アップル社の共同創業者スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。ショックでした。永遠の憧れの人だったからです。
私は、昭和55年高校1年の時、世に出始めたマイコンというやつを極めてやろうと決意しました。その動機は少々不純ですが、H君という小学校からの友人に対抗するためでした。彼はステレオアンプなどの設計や自作に長けていて、私にも指南してくれていたのです。今、このような趣味はオタクと揶揄されますが、当時電子工作は老若問わず比較的ポピュラーな趣味でした。
いつもH君に教わってばかりじゃ面白くないと思い、彼の専門とは違うマイコンに目を付けました。つまり、彼はアナログ、私はデジタルと言うわけです。

高2のはじめ、電子雑誌の「アップルⅡのプリント基板売ります」という広告に目が留まりました。ジョブズ氏が実家のガレージでアップル社を立ち上げて2年、最初のヒット商品「アップルⅡ」が日本に上陸し始めた頃です。当時38万円したアップルⅡは、現在のパソコンの原型とも言えます。記憶装置は、音楽用カセットテープでした。プログラムは、ベーシックというプログラミング言語を使って使用者自身が目的に合わせて作ります。ですから、誰も彼もが使いこなせる代物ではありませんでしたし、大多数の人にとって不要なものでした。
憧れのアップルⅡの、言うなれば海賊基板。このインチキ臭い代物と回路図を、4万円の大枚をはたいて手に入れました。基板とは、B4版ほどの緑色した樹脂の板で、銅の配線がなされています。この基板に、さらに自分でICやコンデンサなどの部品を買い集めて、半田付けしなければなりません。キーボードや電源回路、ケースも自作です。高校ではハンドボール部の練習が毎日あったのでバイトもできず、家の掃除をして1日500円ずつ親からもらいました。その金を持って、週末、秋葉原のジャンク屋通いです。キーボードは、ジャンクの電卓3台を分解して作り、ケースは勉強机の引き出しを外してきて作りました。
そして数ヵ月、総費用10万円でついに自作アップルが完成しました。粗大ゴミで拾ってきたテレビに繋ぎ「APPLE Ⅱ」の文字が表示されたときには、感動して「やったー!」と叫びました。市販のアップルと全く同じ動作をするこの自作機を計3台作り、友人にも売りました。マイコンクラブの部長をやっていた大学生の時は、学園祭で、複数のマイコンを繋ぐネットワーキングの公開実験に、このマシンも使いました。
ジョブズ氏にとって私は、歓迎されない存在だったかもしれませんが、私は彼を敬愛し感謝しています。パソコンを世に出してくれたこと。そして自分の独創性を世に問うという生き方を教えてくれたことを。
ちなみにH君は現在、警視庁でIT犯罪捜査の最前線にいます。パソコン知識でも私を追い抜き、はるか彼方を行っていて、悔しい限りです。

自作APPLEⅡ

高校生の時の自作パソコン。自分でPINEAPPLEⅡと名付けて、ロゴマークも自作しました。キーボードは、ベニヤ板に穴を開け、そこにジャンクスイッチを埋め込んで作りました。ケースは、勉強机の引き出し部分の流用です。

姫林檎とドウダンツツジ

ステンドグラス「姫林檎とドウダンツツジ」。リンゴつながりということで

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