No.1201

フュージング画

「老子四選」

フュージング画「老子四選」
フュージング画「老子四選」

サイズガラス部分 横610×縦350mm×4枚
木製額縁 横660×縦1650×厚60mm
設置場所未定
制作経緯自主制作
価  格額有り 320,000円(税抜き・送料込み) 在庫あり
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制作年度2010年度
 私が好きな老子の一節を4個選び、草行書とその一説から連想される絵を添えたフュージング画です。
 ここ数年、達風農園という60坪ほどの菜園を作り、晴耕雨読のシンプルライフを楽しんでいます。菜園は、最初は生活費を抑えるためと運動不足解消のために始めたのですが、今は、四季を感じ、生活のリズムを整え、自らの手で生を支える作業として重要なものとなってきています。
 ガラス工芸に対する志向も変わってきて、綺麗で華やかな物ではなく、生活と自然の境界領域を素朴なタッチで描き、人や動植物の生の理想を考え表現する手段となってきています。文人画家に近いかもしれません。
 そんな中で以前から興味があった「老子」を読みはじめました。そして、全てではないにしても、私の理想とする生き方を追認してくれるような多くの言葉に出会いました。また逆に、今日の価値観に照らし合わせて、これはどうだろう、と思わせるものにも出会いました。それはそれで、面白半分で考察してみました。
 今回この老子から漢字二文字の熟語を4個拾い出し、フュージング画4連作にしてみました。老子はご存知、古代中国、春秋戦国時代の思想家の名であり、同時にその著書とされる「老子道徳経」の省略形の書名でもあります。ただ、人間老子は伝説のベールに包まれた存在で、複数の候補がいます。書「老子」は現在、5千余言、上下二編、81章でできています。その教えを解説するのは大変なので、私の作品の説明でお茶を濁したいと思います。

 作品を形にするに当たり、半裸の女性を老子全体に流れる「最小限の所有」の象徴として配しました。あまり色っぽくして、思想に対する焦点がぼやけるのも避けたかったので「半裸」です。この小さな人物像のために沢山のデッサンを描き、活きた線質でドローイングできるように訓練しました。無駄な線を使わず、最低限の筆運び、最低限の時間で一気に描くというところにも「老子」らしさを持ち込んだつもりです。
老子の一節季節(花)説  明
知足
(花大根)
 老子33章に「知足者富」とあり、その訓読文は「足るを知る者は富む」となります。不平不満を言わず、現状に満足し感謝できる者は、すでに富を手にしている、とでも解釈できます。私はこの「知足」の二文字を墨書し、家訓として神棚の下に掲げています。それくらい大切で理想とする生きかたです。
 作品では、できるだけ平凡な日常の断片を描きたくて、洗濯物を干す姿としました。
 花は、これも質素で美しい花大根(諸葛菜ともオオアラセイトウともいいます)を選びました。また、老子が「道」の思想を生み出す土台となった大河も大きく横切らせました。
為腹
(オクラ)
 老子12章に「為腹不為目」とあり、その訓読文は「腹の為にして目の為にせず」となります。人々に腹を満たすだけの素朴で無欲な生活をさせ、感覚的な快楽を追求させないという、聖人の政治の有り方を著した部分です。もちろん、現代の価値観にこの一節は容易には当てはまりません。キリストでさえ「人はパンのみに生くるにあらず(マタイによる福音書第4章4節)」と言っています。だからこそ、私は面白いと思いました。老子とも有ろうお方が「人はただ食って息してればいいんだ!」などというわけが無いと思うのです。
 私は、もっと「食べ物をこしらえ、食べて、排泄して、命有る」ということと向き合え、そもそも人間はまず生物なのだから、と言っているように聞こえました。
 作品では、まさに食事中の様子、そして野菜の花の中で一番美しいとされているアオイ科のオクラの花を配しました。
?埴
(せんしょく)

(秋明菊)
 老子11章に「?埴以為器、當其無、有器之用」とあり、その訓読文は「埴(しょく)を?(こ)ねて器を為(つく)る。其の無に当たりて、器の用有り。」となります。粘土をこねて器を作る、その空虚なところにこそ、器としての働きがある。形有るものが便利なのは、空虚なところがあるからだ、という意味です。無用乃用と呼ばれる一節で、解釈もたくさんあります。
 私は、何かで満たし、満たされることばかりを追い求めるのではなく、隙間を作り、無の部分を設け、余裕を作ることの大切さを説いているように思います。特に時間に隙間を持たせることが、他からの要望などに柔軟に対応できて、大切だなあと思います。
 作品では、直球で?埴している様子を描き、花器に秋の花、秋明菊を活けました。
上善
(水仙)
 老子8章に「上善若水 水善利萬物而不爭 處衆人之処悪 故幾於道」とあります。上善如水とも書き、日本酒の銘柄にもなっている有名な一節です。訓読文は「上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。」となります。
 老子では、水を善なるものの象徴、理想の生き方の例えとしてよく用いています。水のように低い位置にいることをよしとし、水のように柔弱にして謙虚が良いと言っています。水は低いからこそ、貴高であり、柔弱であるが故に最高に強い。生き馬の目を抜くような実力社会の今日、この思想で生きていくのは大変なことでしょうが。
 作品では、のんびり足を水に浸した様と、数少ない冬の花「水仙」を配しました。

*訓読文は、岩波文庫 蜂屋邦夫著「老子」からの引用です

フュージング画「老子四選」の部分

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